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辺見庸『自分自身への審問』(毎日新聞社2006年)

この本の主要な部分―「第一章 死、記憶、恥辱の彼方へ」「第五章 自分自身への審問」―は、インタビュー形式をとっている(実際にインタビュアーがいるわけではない)。

しかし、形式上とは言え、インタビュー(を通して語られる言葉)は、異様な印象を与える。

第一章では、インタビュアーは冒頭でしか発言しない。その後は延々と著者自身の言葉が語られる。インタビューというよりは、講演に近いだろう。第五章は、会話的な、それゆえインタビューとしては通常の形式の記述である。しかしインタビュアーは、通常のそれではなく、「審問する者」である。「審問する者」は次のように語り始める。

> ―うふふふ、どうだいご気分は。右手、右足は麻痺、左手は点滴の管につながれて、ろくに歩けず、書けず、右手で尻もぬぐえない……見る影ないな。まったく、ざまがないとはこのことだ。
(中略)
かくいう俺様は、うふふふ、誰あろう、お前自身である。
―それでは問う。
(137-139ページ)

薄気味悪い笑いを浮かべる「自分自身としての/自分自身を審問する者」に答える形で、著者の言葉が語られていく。なお「笑い声」は、この本で一貫して現れるイメージである。政治的問題にシニカルな反応しか示さない社会を、辺見は、「くっくっくっ…ふっふっふ…」という笑い声で表現する。

それにしても、なぜ、このような奇妙な記述の形式を、辺見は取らなければならなかったのか?とくに第一章では、インタビュー形式がほとんど無意味なものに思われる。

辺見は2004年3月、新潟での講演中、脳出血で倒れ、右半身に不自由を負った。その後、癌を発病する。一時は、批評を含む言語的活動への復帰困難さえ示唆される状態だったが、パソコンを左手で打つことによって、この本が書かれた。第五章は、癌手術の前後に病室で書かれたものであり、「審問」は手術による中断をはさんで続いている。

辺見は、繰り返し「自死」について触れている。私と確定死刑囚の違いは一点しかない―後者においては「外部から」、具体的には国家によって死が与えられることになっているのに対し、前者においては「死」へのポジティブな可能性、自ら生の断絶を執行する余地が残されている(なお癌の手術後、自死への誘惑はやや薄れた、という)。つまり辺見は、「未だ自死を決行していない状態」として、生を享受している。

辺見は「医師に声帯を抜いてもらおうかと考えた」ほどに、「わめきつづける」自らの性(さが)を、呪っている。「だが、私は結局わめきつづけたのだった」。

> 何という大ばか者だろう。私はロボトミー手術でも受けて、伊豆かどこかの陽当たりのいい別荘地あたりでニコニコ笑いながら余生を生きればよかったのだ。無農薬野菜を食い、コレステロールと塩分の摂りすぎに注意して、血圧コントロールを徹底し、ラブラドール・レトリバーを飼い、庭でゴーヤを育て、朝はヘンデル、夜にはバッハを聴き、有事法制が採択されようが、9・11が起きようが、バグダッドが爆撃されようが、クラスター爆弾が子供の頭を西瓜のようにかち割ろうが、自衛隊派兵が決まろうがどこ吹く風と、誰に対しても笑顔を絶やさず、憲法改定の動きには「困ったものです。この国はこれからどうなるのでしょう」くらいは空々しくいってみせ、早寝早起きと犬連れの散歩を敢行、定期健康診断をしっかり受けて、眠剤がわりに『失われた時を求めて』を一日たった三十頁だけ読んではうとうとと眠りにつくような日々をなぜ送れなかったのだろう。
(163-164ページ)

これはたんに、読者への反省を促すため(だけ)のアイロニカルな表現ではない。辺見の偽らざる苦渋が、ここにはある。

以上からわかることは、この本では、「語ること」の基盤―生きること、「わめく」こと―が、不安定なままに放置されている、ということである。つまり、この本で辺見が語っているという事実は、「なかったかもしれない」事実である。

こうして、なぜインタビュー(審問)という形式が取られたのかが、明らかになる。たんなる記述は、すでにある、すでに書かれたものとして、読者に受け取られざるをえない。これに対し、会話の一種であるインタビュー(講演、審問)は、常に中断される可能性にさらされている。ここで、辺見が講演中に倒れ、第五章にも手術による中断がある、という事実を思い起こすことができる。

「身体」の変調による語りの中断。これこそが、辺見の伝えようとしたことではないか。
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