上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
※これからは1エントリを短めに、ユルくいきます。「書評」ではなく「メモ」を。

第一部を読み終えるところ。講義形式なので読みやすい。
第一部は言い違いなどの錯誤行為に無意識の作用を発見するという内容。
提示される論拠は必ずしも明快ではないようにも思われる。
しかしありうる反論を丁寧になぞり、それに答えていく論理展開は非常にわかりやすい。

さてあまり内容とは関係ないが、次の箇所には感銘を受けた。

「ですから、些細な兆候を軽んじてはならないのです。十中の八、九までは、このほんの小さな証拠から重大なものの手がかりをうることができるからです」(29ページ)

「ただこれこれの大問題を、さあこれから研究するぞと鳴り物入りで計画を立ててみてもあまり効果はないようです。そう決心してみても、なにから始めたらいいかわからないでしょう。学問上の仕事においては、身近にあるもの、すでに研究の道がついているものから始めることのほうが期待がもてるのです。小さな問題も大きな問題も、すべてはつながっているのですから、なんの予断もなくなんの期待ももたずに、白紙の態度で研究を根本から始めて、幸運に恵まれさえすれば、全く地味な研究からでも、大問題を研究する糸口がひらけてくるのです」(同)

今後の研究の方向性についてあれこれ考えることが最近多かったところに、こういう文章に出会ったのは巡り合わせのように感じる。
スポンサーサイト
 
ずいぶん更新してませんでした。2月半ばまで吹き荒れていた近代経済学旋風はぴたりと止み、あまり本を読まない生活が続いています。就職活動を本格的に始めたことで時間がとれなくなっているという事情もありますが、より根本的には、就職活動およびいよいよ本腰を入れざるをえない博士論文執筆が重くのしかかってきて、心理的な余裕がなくなりつつあることが大きいです。

とはいうものの、余裕がないのは必ずしも悪いことではない。それは何かひとつのことに向かうときに、不可避かつ不可欠な姿勢でもあるから。実際に僕はいま、自分の専攻分野の本をもっとたくさん読む必要性を真剣に感じているし、博士論文をなんとかしなければという思いも強い。もちろん思いだけではだめで、行動が伴わなければいけないけれど。ともあれ、自分の興味のあるものならなんでも読み、博覧強記を誇る、というのではやはり博士論文は苦しい。足すよりも引く。かけるよりも割る。付け加えるよりそぎ落とす。今後はそういった作業に邁進していかなればならないのでしょう。

そういうわけでこちらのブログは引き続きあまり更新できないかもしれません。それでも閉鎖はせず、誰に向かってでもなくぼちぼち更新していければ、と思っています。

とりあえず。

[今読んでいる本]
東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』
ドストエフスキー『悪霊』
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。