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綾辻行人と佐々木倫子のコラボレーションミステリ漫画。
以下ネタバレあり。

ミステリの筋そのものはそれほど出来がいいとは思えない。犯人の殺人の動機がやや中途半端で、その最期もなんとなくいい加減。トリックとして秀逸なのは「走っているのに走っていない電車」だが、それと殺人はあまり関係がない。

とはいえ、「走っているのに走っていない電車」というトリックには、漫画という媒体の特徴がこれ以上ないほど巧みに生かされている。漫画の絵は動かない。常に「瞬間」を切り取った「画面」の連続体が漫画であり、映画や小説とは決定的に違う。映画や小説ではこのトリックは使えないだろう。漫画は切り取られた個別個別の画面によって、音や雰囲気、時間的な経過や脈絡を表現している。「走っているのに走っていない電車」というトリックは漫画のこうした特徴(というか本性)をうまく利用して成り立っている。

もう一つ興味深いのはストーリー展開だ。沖縄の女子高生が北海道で鉄道オタクたちと出会う。沖縄出身というのは前述のトリックからの要請だからあまり意味はない。重要なのは、主人公の女子高生が両親を喪い、北海道に住むただ一人残された肉親である祖父に鉄道で出会いに行くという構造だ。

主人公の祖父も鉄道オタク(というか年齢的にはマニアというのかな)で、その娘(主人公の母親)はそれを嫌って家を出た。主人公は鉄道に乗ったことがない。いつも母親が妨害してきたからだ。友人から「ゆいレール」に誘われても乗ることができない。母親のトラウマが娘に受け継がれているのだ。それは母親が死んでも変わらない。それどころかますます強い呪縛となっていく。

ところが祖父に会うために、生まれて初めて鉄道に乗ることになる。そこで出会うのが自分の趣味に耽る「鉄道オタク」たちだ。唯一、(少なくとも外見上)オタクとは違い「趣味のいい腕時計」をした男性が同行しており、主人公は心ひかれるが彼は物語中盤で死んでしまう。結末で、彼の死に主人公が関わっていることが明かされる。そのような意図がなかったとはいえ、主人公は結果的に「趣味のいい腕時計」をした男を自ら殺してしまったのだ。

主人公はそれを知り傷つく、そのとき彼女を慰めるのは「鉄道オタク」たちだ。もちろん主人公はそんな「鉄道オタク」たちを好きになることができない。なにしろ「空海(主人公の名前)と俺のラブダイヤ」なる架空のダイヤ表をひそかに作るような男たちだ。しかし、犯人に殺された主人公の祖父はある遺言を残していた。鉄道オタクの泣いて喜ぶマニア品を蒐集した邸宅を財産ごと譲ること。ただし、次のような条件付きで。鉄道を少なくとも嫌いでないこと

主人公はこれを受け入れる。この決定は重要である。彼女はそこで、母から受け継いだトラウマを(完全ではないにせよ)乗り越えるからだ。その媒介者は、もちろん、あの「鉄道オタク」たちである。ごく単純化して言ってしまえば、主人公の女子高生は、「趣味のいい時計」をしたスマートな男よりも、他人からみれば理解困難な趣味に耽る「オタク」たちのいる世界を選択することによって、トラウマの乗り越えを図るのだ。

物語の結末で、「趣味のいい時計」をしたスマートな男が、実は「オタク」どころではない狂気を秘めた人間であることが明かされる。そのことに気づくのは主人公だが、その気づきには「趣味のいい腕時計」が関わっている。彼女がみたと思った時刻(8時10分)は、実は長針と短針が逆で、1時40分だった。その時計は壊れて止まっていたのである。このエピソードは、「趣味のよさ」というような価値の失墜、裏返せば何もかもオタク的な耽溺に転化せざるをえない、現代社会の隠喩になっているのではないだろうか。
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しりあがり寿『表現したい人のためのマンガ入門』
(講談社現代新書)

こういった,創作の一線で活躍している人が,自らの創作活動の内実について語る本は,わりと好きで,この本も楽しく読めた。創作物の「作品」と「商品」という二面性,創作過程における「ケダモノ」と「調教師」の必要性,創作者の「敷居の高い人」と「敷居の低い人」の二類型,といった指摘はためになるものだった。何より,著者がかつて大手食品メーカーの開発部に勤務しており,マンガ創作にその経験が大きく影響している,ということは,大きな発見だった。

しりあがり寿のマンガを初めて読んだのは,たしか中学生のときだったと思うが,なんだろうこの滅茶苦茶な絵と展開は,というありきたりな感想を持つとともに,描かれたコマの中に何気なく流れている,世界の裏側の空気を,半ば無意識のうちに感じとっていたような気がしている。

そういう感覚は,高校時代に耽読したうすた京介『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』,ながいけん『神聖モテモテ王国』を通じて,大学時代に好きだった町田康,最近になって初めて読んだつげ義春にまで一貫して感じていて,自分がマンガや小説について持つ嗜好の一部分を形作る核となったのではないか,といま感じている。
 
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