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ソルジェニーツィン『ガン病棟』を読み終えた。

必ずしも本編とは関係ないが、昨日・今日と下巻を読みながら考えたことを書いておく。

人は悲しいほど「同じ」である。というのは、例えばガンに見舞われ苦しむ、というような場面において。結果的に病魔を克服しうるかは大きな問題ではない。治ったとしても治療の副作用や再発の恐れがつきまとう。生物学的な条件のもとでは、職業、信条、記憶、友人・恋人、そういったものは何の意味も持たない。ガンが治るかどうかは、発見が早かったかどうか、適切な治療が施されたかどうかに、ほとんどそれだけにかかっている。

同時に人はそれぞれ全く異なる存在である。例えばガンを克服しようとする意思、反対の諦め、その中で抱く思いや希望、絶望に関して。

とはいえこれらの「思い」もまた、外から見れば、凡庸なものに思えるときもある。

しかしそれは、もしそうだとしたら、私たちがいま現在ガンではないからなのだ。

どれほど似通った状況の中にあろうと、ある二人の人間がそれぞれ抱く「思い」に、同一性などありはしない。このことは、人生の一回性、各個人の入れ替え不可能性から言える。ガンに見舞われ、思い悩む。そう言ってしまえば、たしかにその状況は凡庸に思われる。しかし「思い悩む」とは、言葉としてあるのではなく、それより以前に固有の経験としてある。言葉は、それをあとからわずかに、限定的な形で表現しうるのみである。それを理解しえないのは、いま現在ガンでない人間、より正確に言うならば、自らそうなるかもしれないという可能性を微塵も想起しない人間なのだ。

希望を実現するためには、どのような状況にあろうと「可能性」を追うことが何より重要である。同時に、絶望を理解する上でも、自分がどのような状況に陥ることもありうるという「可能性」を認識することが、決定的に重要だろう。
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ジョン・アーリ著『社会を超える社会学』

読んだとこまで。

第一章 社会
第二章 メタファー
--疑問点--
メタファー・・・「モデル」や「型」とどう違うのか?「メタファーのメタファー」は何か(あるのか)?
 
がっかり。

個別に面白いと思った点はいくつもあるのだけれど、全体として「そうか!」と膝を打つようなポイントを見出せなかった。博士論文をベースにした著書ということなので、一般向けに書き換えたためにかえって論点が曖昧になっているのか?とも思ったが、一般向けにするならなおのこと、一つの論点を明示的に打ち出すはず。

こういうとき、まだ自分にはこの本は早すぎたのだ、と思う。読む人が読めば、ここから豊穣な論点と問題を取り出すことができるだろう。自分にはまだそれができない。だからまたいつか読もうと思う。

『ナチス・ドイツの有機農業 「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』
著者:藤原辰史
出版社:柏書房
出版年:2005年
 
少しわかってきた。マルクス(マルクス主義?)経済学は、次の二点に照準している。

(1)資本主義の合理性=資本主義進展の必然性の解明
(2)(1)に伴って生じる諸矛盾(搾取、疎外、不平等など)の解明

前者が貫徹されればされるほど後者もまた激烈となり、矛盾が飽和点に達したときに「革命」が起こる。たとえば恐慌や戦争→労働者の団結、ブルジョア政権打倒といったように。

ところが!

恐慌や戦争(革命への契機)を不可避にもたらすはずの構造的不況は、ケインズ経済学と消費社会の到来によって、資本主義の合理性の強化へと回帰してしまうようになった。つまり(1)→(2)→革命ではなく、(1)→通貨管理、雇用対策・労働管理、消費社会化→(1)の強化と(2)の解決(隠蔽?)、ということだ。革命はいつまでたっても訪れない。

そこでマルクス主義者はどうしたか?

「政治主義」へと移行した。それによって(1)→(2)→革命という経路を、いま一度強化しようとした。そういう流派の一つが、フランスのレギュラシオン学派だ。

しかしこの「政治主義」は、突き詰めていくと「気合と根性で革命を実現せよ」という主張になる。例えば草の根の市民運動に、資本主義を揚棄する契機を見出す論理などは、ここに入るだろう。北田暁大のいう「道徳的総会屋」もここに入るのだろうか。ともあれ、しかしこれは正直いって暑苦しい。

そこで最近では、分析的マルクス主義(アナリティカル・マルキシズム)といった流派から、「政治主義」に「まずは落ち着け!」と呼びかけつつ、資本主義の合理性と問題点を近代経済学のツールを使って捉えなおしてみようじゃないか、という提案がなされている。たとえば、「搾取」と「支配」が密接で見過ごされべからざる関係を持っていることを踏まえた上で、別の概念として捉えていく。これはポジティヴな方向性なのだが、資本主義の必然性の証明へと自閉していく危険性をもまたはらんでいる…。

以上、私の読んだ『マルクスの使いみち』でした。
著者:稲葉振一郎、松尾匡、吉原直毅
出版社:大田出版
出版年:2006年
 
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