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あまり本を読めていない。論文執筆がはかどらず、そっち方面の文献は目を通しているけども。今月は色々予定が入ってほとんど時間を取れないので、読書も論文も4月以降に期待、ということになる。急ぐことはないけれどもあんまりのんびりやっていても…。

しかし、仕事がはかどることと、「その仕事だけに集中する」こととは、必ずしも一致しないのではないか。と思う。

集中力というのは不思議なもので、昨日がんばったから今日はダメ、あるいはその逆、といったようなゼロサムにはならない。つまり集中力の全体量があらかじめ決まっていてそこから必要な分を取り出してくる、というよりも、集中するまさにそのこと自体によって、新たなリソースが調達される。

要は「集中」とは脳の運動能力を最大限引き出すことだから、普段からトレーニングで鍛えておかなければ、肝心なときにうまく機能してはくれない、ということだ。もちろん、その方向性とか柔軟性といった要素が、たんなる運動能力以上に重要なのだが。まあそういう意味で、忙しいとき・あせっているときにこそ、関係のない本(小説とか)を読むべきなのかもしれない。

さて、論文を書くために文献を読んでいると、「もう知っていること」がたくさん出てくる。というか、ほとんどそればっかりだ。以前はそういう文献を読むのは時間の無駄では?と思っていたが、これは全然違う。料理の比喩を使うとわかりやすい。ダイコンを食べたことのない人はほとんどいないと思う。じゃあダイコンを使った新しくオリジナルな料理は作れないかというと全くそんなことはなく、使い方・工夫の仕方で驚くべき・前代未聞の・それでいておいしいダイコン料理が可能(なはず)だ。「素材のよさ」ばかりをいたずらに求めてもしょうがないのであって、(これは高橋源一郎が言っていることらしいけど)「ありあわせ」の材料から何を作れるか?が、クリエイターとしての才能を表すのだと思う。

ということはオリジナリティとは、「全く違う」ではなく「似ている(似て非なる)」という属性によって表現されるべきだ(理系だとまた違うかもしれないが)。まあそもそもオリジナリティなんて狙って生まれるものではない。自分が思いもしなかったからこそ「オリジナリティ」なのであって、あらかじめ想定された(「想定内」の)オリジナリティなど原理的に存在しない。

あと「もう知ってるよ」という内容の本を読むことの重要性はもう一つあって、その本を読んでいる間は、少なくともその間だけは、その本の扱っているテーマについてあれこれ考えている、ということだ。それがいかに取るに足りない行為に感じられても、だ。同じことに取り組み続けることなしに、成果はありえないのだから。
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