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今月末は三日連続で学会。研究者のタマゴの身としては、議論をフォローしきれない部分がどうしても出てくるが、いい刺激になる。特に今日(3月30日)のシンポはよかった。内容云々ではなく、感性的に。客観的にではなく、主観的に。

で、学会に行くと関連の出版社が書籍を売っていて、二割引ということもあり、持って帰るときの大変さも省みずついつい買ってしまう。さらに今回は会場が「本のまち神田」に程近いので、昼休みに古書店へ行けたりするわけだ…。

買った本の一覧
・小原信『われとわれわれ』(中公新書)
・外山滋比古『読書の方法 〈未知〉を読む』(講談社現代新書)
・大島清『食糧と農業を考える』(岩波新書)
・斉藤精一郎『「現代デフレ」の経済学』(PHP新書)
・カフカ『変身 他一篇』(岩波文庫)
・アポロドーロス『ギリシア神話』(同上)
・ルソー『社会契約論』(同上)
以上は古書店でのお買い上げ。新書と文庫ばっかし。
会場で買ったのは
・玉真之介『グローバリゼーションと日本農業の基礎構造』(筑波書房)
・田代洋一『「戦後農政の総決算」の構図 新基本計画批判』(同上)
・佐藤誠・篠原徹・山崎光博『グリーンライフ』(農文協)
・『村落社会研究 No.23』(同上)

あと宇佐美繁著作集も買いたかったが、さすがに重いので、大学で買うことにする。

玉氏の本の1ページ目、次の箇所に目を引かれた。

>「構造政策の絶対化」、「専業農家の絶対化」も、農業の持つ多様な意味を捨象して、国家の要請する食料生産の合理性だけを追求したもので、近代の専門化・細分化された科学が出した演繹的な結論である。私は、この絶対化が総力戦体制によってもたらされたと考えるが、…(以下略)
(玉真之介前掲書、9ページ)

「農業=食料供給産業」という捉え方は(完全に、ではないが)多分にイデオロギー的なのではないか、と考えていたのだが、これは玉氏の認識にかなり近いのかもしれない。読んでみないとわからないが。
ともあれあらかじめ一点だけ私見を。「農業=食料供給産業」を作り出したのは、総力戦体制というよりも、「国家と資本主義」だと言うべきだろう(総力戦体制は一契機にすぎない)。とはいえ現代では、「国家と資本主義」のもとで「農業=食料供給産業」という位置づけすら崩壊しつつある。農業を存続させようと考えるならば、農業と社会をつなぐ「新たな幻想」が求められる(「新たな幻想」はどこから調達されるかと言うと、現状では、「国家」、「市場」、「共同体」の三者の折衷である。例えば、市場主義化への対応としてのグリーン・ツーリズムは、地域の主体性=共同体に依拠しつつ政策的=国家的に推進されている…)。
そこで維持される農業は、今日のシンポでも言われていたように、日本人が日本人のために行なう「閉じた」日本農業ではなく、資本と労働力の自由な移動に基づく「開かれた」日本農業になるのかもしれない。あるいはそうでないかもしれない。僕にとっては農業の担い手の国籍がどこであろうと関係ない。問題は、地方であれ国家であれ地域(アジアとかヨーロッパとかの範囲)であれ、そして世界単位であれ、同じである。農業は社会にとって何か?

それにしても、学会への行き帰りに通勤・帰宅ラッシュに巻き込まれるのはちょっときつい…。慣れていないだけ、と言えばそのとおりだけども。
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Comment
  にゃむちー [URL] #-
机のうえにあった山積みの本は、それだったのですな。
そのうち本が重すぎて、床が抜けるぜv-39ケケッ
オイラの重さの方が床に負担とか言うなよ!v-40
 2006.03.31 Fri 10:44 [Edit]
  Arrivederci [URL] #-
今日もつい買ってしまいました。たった10冊ほどだけどね。
 2006.03.31 Fri 21:31 [Edit]
  (名無し) [URL] #-
インテリアファブリック(クッション・テーブルクロス・布装飾)を探すなら http://www.microdsi.com/100804/200119/
インテリアファブリック(クッション・テーブルクロス・布装飾) 2008.10.04 Sat 04:00 [Edit]






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