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所用でさいたま新都心へ。
本来の用事は途中で退席してジョン・レノンミュージアムに行ってみた。

これがなかなか。
歌詞の書かれたメモパッド,Tシャツ,小学校時代の成績表。
オノ・ヨーコとの活動の記録。
最後の展示室への通路に浮き彫りされた「1980.12.08」。
久しぶりにいいものを見れた。よかった。
ショップで携帯ストラップを購入。

最後の展示室には大きな透明パネルが設置されていてレノンの言葉(歌詞やおりおりの発言からとられたもの)がちりばめられていた。それらの言葉は,前回のエントリとの関連で言えば,「味があって湿った言葉」ということになる。この「味があって湿った言葉」は,確実に,こちらになにものかを訴えてくる。

しかし,このブログでは,「無味乾燥な語り口」を用いる。レノンミュージアムで遭遇したような「味があって湿った言葉」を個人的に好まないとか,そういった理由からではない。後者によってしか語りえないものがあるのと同様に,前者によってしか語りえないものがある,と考えるからだ。

言葉とは,それ自体ではない何物かを伝える機能のことである。例えば「犬」という言葉は,「イヌ」という言葉の響きや「大の右上に点」という文字の構造とは本質的には無関係に,この犬やあの犬,あるいは概念上の犬を指し示す。

粗雑に整理すれば,「味があって湿った言葉」がこうした無関係性を被い隠すのに対し,「無味乾燥な言葉」はそれ自体によってこの無関係性を表現する,と言える。「無味乾燥な言葉」は,言葉が,つまり人間の理性的営みが,どのような努力や工夫の果てにも,ついに「現実」に到達することがない,という事実を表現する。言い換えれば,「無味乾燥な言葉」は,「語りえないものがある」ことを指し示すのである。

これはどう考えても矛盾である。言葉が,言葉によって語りえないものを指し示す,というのだから。しかし,この矛盾は,意識的であれ無意識にであれ,日々われわれが用いている言葉に内在する矛盾である。われわれは常にすでに,その矛盾を「生きている」。

「無味乾燥な言葉」は,このようにして,われわれが日常生活のなかで直面する微妙かつ何気ない事態を,よりうまく説明しうる。しかしそれは常に「失敗」としてしかありえない。「語ること」の「失敗」を通してしか,現実のなにものかを他者に伝えることはできない(と書いているこの文章ですら「失敗」を孕んでいる)。だからこそわれわれは,飽くことなく何百回も何万回も,語る(あるいは語ろうとする)のだ。

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次回は具体的な本の感想を書こうと思います。
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