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小熊英二『単一民族神話の起源 〈日本人〉の自画像の系譜』新曜社1995年

同じ著者の『〈日本人〉の境界』を読んだときもそうだったが、人はかくも時代に翻弄されながら考え・行動せざるをえないのか、と思わずにいられない。けれども、それは必ずしも全面的な悲観ではない。時代による翻弄は、あとから見れば、奇妙な可笑しさを誘いもする(「なぜそんなことに必死だったのか?」)。無論、「あとから見れば」というのは文字通り「後付け」の評価にすぎないのであって、当事者にとっては可笑しいだけでは済まない。

すでに国家規模でも人口減少基調に入り、またこれまでの実態を見るに、今後、日本は、少なからぬ他国籍の人びとを受け入れていく(べき)だろう。それは、幻想としての「単一民族国家」からの離陸だ、とつい考えてしまう。しかし事態はそう単純ではない。厖大な資料に裏づけられた小熊の論証は、「単一民族国家」概念の「用いられ方」を、時代、場所ごとに整序していく。「単一民族国家」は、他民族を取り込みながら膨張していった「大日本帝国」の凋落が確定的(現実)になったときに生じた、国家規模でのアイデンティティ・クライシスを、隠蔽するための概念だったのである。

小熊は、過去の資料を読者に読みやすい形で提示する、という姿勢にあくまで徹している。それゆえか、見た目の印象(本の厚さ)に比べ、はるかに読みやすかった。

小熊自身があとがきで述べているように、この本の隠れた主題は「他者との共存」である。小熊は「異なる者との共存に必要なのは、神話ではなく、少しばかりの強さと叡智」と述べる。しかしこの「少しばかり」が、どれほど困難なことか。
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